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野田徹郎氏対談│50年の歩みと未来への挑戦:地熱の可能性を語る

2024年8月、株式会社エディットの代表取締役である藤野敏雄と、独立行政法人 産業技術総合研究所 名誉リサーチャーの野田徹郎氏が、地熱エネルギーの未来について対談を行いました。エディットが創業から50年という節目を迎えるにあたり、ホームページの刷新と記念行事の一環として企画された今回の対談は、地熱開発における過去の経験から現在の技術革新、そして未来のビジョンまでを広く議論する機会となりました。

  

 

◆創業から50年の節目に向けた展望

藤野「弊社は創業からまもなく50年という節目の年を迎えようとしています。この節目を迎えるにあたり、ホームページを刷新すると同時に、記念になる行事として今回企画させていただきました。今回の対談は、私たちふたりの、そしてエディットのこれまでの歩みを振り返りつつ、地熱業界における後進の育成や業界に対する忌憚のない意見を交わしたいと思っています。我々が築いてきたものを次の世代にどのように伝えていくかはとても重要だと考え、野田先生とお話ししたいと思い、お越しいただきました。」

 

 

野田「今回は、お招きいただきありがとうございます。私も藤野さんも、約50年に渡って地熱の黎明期から地熱に携わってきました。私は国の機関へ、藤野さんは民間の開発へと軸を置き、それぞれの立場から地熱開発に邁進してきましたね。特に藤野さんがエディットを創られたことは、後進の育成という意味でも大変なことですが大切なことだと思っています。今日のお話で、少しでも皆さんに何かをお伝えできれば嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。」

 

ここからは、おふたりのこれまでの歴史、そして技術革新と今後の展望について語り合ってもらいましょう。

 

  

◆共に歩んだ地熱開発の歴史

まずはおふたりの出会いと、共に歩んできた地熱開発の歴史について聞いてみました。

 

野田氏は、1969年から九州大学温泉治療学研究所の温泉理学部門に所属し、別府で温泉の科学的研究に携わっておられました。その後、九州大学温泉治療学研究所が医学に特化する方針となったことをきっかけに、国の機関である地質調査所(のちの産業技術研究所)へ移籍され、本格的に地熱・温泉発電開発に従事する道に進まれました。

おふたりが初めて出会ったのは、1972年頃、第二次オイルショックの前後に九州大学で開催された地熱学会の講演会だったそうです。当時、藤野はまだ地熱に携わったばかりで、知識も経験も十分ではありませんでしたが、その講演会で、地熱開発の未来に大きな可能性を感じたと言います。

おふたりが実際に一緒に仕事を始めたのは、1973年頃から九州電力㈱によるインドネシアの地熱開発の技術援助の一環として始まった、インドネシアのジャワ島西部のバンテン、シソロクの調査からでした。1978年から1985年にかけて、藤野は九州電力の地熱課に所属し、八丁原1号機の出力回復と2号機の建設に奔走していました。その頃、野田氏と共に地熱開発の現場で多くの時間を共有し、互いに刺激し合いながら技術を高めてきました。

 

野田「私は地球化学が専門で、藤野さんは地質が専門。本来なら出会わないふたりが、地熱開発という新しいプロジェクトにおいてそれぞれの領域を持ち寄るというチームの若手として参画し、出会ったんですよね。当時は世界的に地熱開発の黎明期で、とはいえ海外での成功例もあったので、こんなに火山の多い日本の、しかも九州での開発は、当然の流れだったと思います。

ただ、我々が携わってきている調査の分野は、『こうやればいい』という方法が確立されているわけではなく、まさに我々がその方法も模索するための一員だったということをお伝えしたいです。予定していた発電量にまったく到達しない、といったことは何度もありましたが、技術的なことがわからない人たちからすると『なぜ?』となる。まさに、基礎研究の繰り返しです。そうした技術革新と調査の精度が相互に上がっていく過程に、私たちは携わってきました。」

 

 

藤野「そうですね。その黎明期のことを少し詳しくお話ししますと、当時九州電力では、1978年に地熱事業を本格的に推進するために火力部に地熱課を設置し、さらに西日本技術開発にも地熱部を設置しました。この体制が整い、1983年には国の地熱開発促進調査やJICAのODAプロジェクトに取り組むことができるようになりました。この時期、野田さんと私は共に別々の組織で多くのプロジェクトに関与し、地熱開発の技術的飛躍を目指して切磋琢磨してきました。

 

藤野は、野田氏との長い歴史を通じて培ってきた信頼と友情が、エディットの地熱開発への取り組みに大きな影響を与えていることを強調しました。

  

 

◆技術革新と新たな挑戦

次に、地熱開発の技術革新とそれに伴う新たな挑戦について、それぞれの時代の具体的な内容も伺ってみました。

野田氏が地質調査所に所属していた時期には、藤野が所属していた九州電力グループも地熱技術の基礎を築くための数々の進歩があったと言います。特に、坑井掘削時の地質解析手法の確立や、裂か型貯留層モデル、流体包有物の均質化温度解析などといった技術が、この時代に大きく進展しました。これらの技術は、現在の地熱開発においても重要な役割を果たしています。

流体地化学の調査手法およびそれに基づいた地熱系の解明手法は、地熱調査において極めて重要なものとなっています。この分野の発展は野田氏の先駆的貢献により、その成果は今もなおその価値を発揮しています。当時、九州電力の地熱事業も、積極的に技術開発を進めようとする意欲に満ちており、その結果、地熱開発が大きく進展しました。

 

藤野「その後、私はNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)に出向し、国内の地熱開発促進調査を進めました。当時のNEDOは、国内外の精鋭たちが集まり、非常に刺激的な環境でした。地熱開発をさらに推進するために、促進調査の見直しを行い、広域調査から精査調査へと移行する提案を行いました。これが、後の中小地熱開発事業の基礎となります。」

 

 

野田「私と藤野さんは互いにNEDOに出向して再会してますよね。当時は地熱分野の人が多く所属していて、様々なチャレンジができました。ただ、最初にもお話しした通り、地熱開発には時間と開発コストがかかります。他のエネルギー事業と比較されるとなかなか難しいです。

そうこうしているうちに、2004年に設立されたJOGMEC(現在のエネルギー・金属鉱物資源機構)でも、地熱開発は再び活発化しましたが、当時のNEDOほどではないです。

現在の課題としては、地熱に関する十分な知識を持たない事業者の参入や、調査・掘削コストの増加、人材不足といった問題があります。他のエネルギー事業と異なり、何かを設置してすぐに稼働できるわけではなく、開発したい土地の調査を事前に行い、地域と連携をして進めていかなければなりません。

これらの課題に対応し、地熱エネルギー開発を持続可能な形で推進していくためには、こうした背景への理解と、さらなる技術革新と人材育成が必要です。」

 

藤野「以前は、大規模開発では地元の方は協力してもらうだけで、地元と一緒に開発しようという発想はありませんでした。この考え方ではこれ以上地熱開発が進まないと考え、小・中規模発電や温泉発電事業を地元と一緒に推進するというビジネスモデルの実現のためにエディットを立ち上げました。」

 

野田氏は各機関での経験を通じて得た知見をもとに、地熱開発における技術革新と今後の需要について語り、藤野もエディットとして引き続きその先頭を走り続ける決意を表明しました。

  

 

◆地熱の未来に向けた課題と展望

対談の最後に、両者は地熱エネルギーの未来について語り合いました。

 

藤野は、地熱開発の今後の課題について、

藤野「まず、地熱に関する知識を持たない事業者が増えてきたことが課題です。地熱は一筋縄ではいかない分野であり、調査や掘削に高いコストがかかる上、豊富な経験を持つコンサルタントが不足している現状があります。これが、プロジェクトの進行を遅らせる原因になっているのです。」

と述べ、地熱開発における専門知識と経験の重要性を強調しました。

そして、話題はFIT(固定価格買取制度)の影響に及びます。

 

野田「FITが終了した後に事業を停止する事業者がいるのは問題です。コストに対する甘えがあると感じますが、持続可能なビジネスモデルを構築するためには、FIT後も安定した発電を続けられる体制が必要です。」

 

藤野「その持続可能性という意味では、地域の活性化に向けた小規模発電・温泉発電事業の発展が必要不可欠です。開発事業者と地域、双方が理解し合い、お互いに地熱を活用することで今以上に良いエネルギー活動が可能となることに合意しなければ、地熱開発は進まないからです。もちろん、地元が主体となった発電事業が今後はあってもよいのではないかと考えています。

そして地域の賛同を得るためには、熱水利用事業の充実が欠かせません。しかし、現状では下流側、すなわちマーケティングがうまく機能していない点が課題です。また、発電システムの開発も依然として不十分です。

どこでも地熱発電を実現するという意気込みで、地域や温泉事業者と連携しながら、地熱発電事業を推進していきたいですね。」

 

野田「藤野さんは、まさにそうしたニッチな発電事業を引き続き精力的に続けておられます。私は国の機関の立場として、法整備などの面から地熱開発に貢献していきたいと考えています。

そして、再生可能エネルギーとしての地熱の可能性を最大限に引き出すためには、技術革新だけでなく、地域の理解と協力が必要です。その意味でも、エディットの存在はとても重要です。いきなり国の機関と交渉するよりも、間に専門家が入ったほうが進行しやすいですから。」

 

 

最後に、エディットの職員との交流から、

野田「たぶんこれは地熱に限らないのですが、近年、すべての判断がメリット・デメリットに集中する近視眼的なものの見方になってきているように思います。企業も地熱研究も、ベネフィット先行になりがちなので、目先のことにとらわれてしまっているように思います。

ただ、そもそもなぜこの世界に身を置いているのかを考えると、『活かせてないからやめよう』ではなく、『なぜ、今うまく地熱を活かせていないのか』というデメリットときちんと向き合う必要があるんです。

地球環境のために、地熱を用いて貢献したいという強い熱意を持って、地球温暖化問題に取り組みたいという心構えを持つ人が増えるといいなと思います。」

 

藤野「そうですね。エディットは、まさにそうした想いを持った若い人が集まってきている途中です。技術的なことは後から習得してくれたらいいので、野田さんのおっしゃった『強い熱意』こそ、これからの地球を考えるうえで一番大切なものだと思います。

最後に当社の想いまで汲んでいただき、今日は本当にありがとうございました。これに懲りずに、今後も技術開発面、そしてこうした催しにもまたお付き合いください。」

 

最後に野田氏は、今後の地熱開発推進のために、国や省庁、自治体などとの協議に向けて積極的にサポートしたいと仰っていただきました。

エディットは未来に続く地熱エネルギー資源の開発に向け、野田氏からの温かい応援の言葉をいただき、100年企業を目指し突き進んでいく決意を新たにしました。

 

 

◆対談者プロフィール

 

野田徹郎(Tetsuro Noda

 

独立行政法人 産業技術総合研究所 名誉リサーチャー

九州大学温泉治療学研究所を経て、地熱開発の研究に従事。日本全体の地熱・温泉発電開発に長年従事し、国内における同分野の指導者的存在として活躍。多くの論文を発表し、全国各地の講演会に出演。

 

藤野敏雄(Toshio Fujino

株式会社エディット 代表取締役

九州大学大学院理学研究科地質学修了後、地熱開発に従事。国内外の地熱プロジェクトに貢献し、小規模発電事業を提唱。2009年より株式会社エディットの代表取締役を務める。

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