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社会人となって50年

※この記事は、地熱開発コンサルタントのエディット代表の藤野が、社員へ向けて発信するコラムです。

皆さん、おはようございます。先週に続き、今週の日曜日も、曇りの予想を覆して、日差しもあって気持ちの良い天気でした。梅の花が大きく蕾を膨らませてきました。来週には、ゴルフ場でも開花ですね。

今年は2025年、私がビジネスの世界に飛び込んだのが1975年ですから、50年が経ちました。大学・研究生活が27歳まで続きましたので、ビジネスの世界は全く無知の世界でした。それから、ビジネスに身を置くようになるまで、皆さんと同じように、世の中の常識を知らない人間だったと思います。たくさんの専門書を読み、地質学の内、岩石学という狭い分野で研究に明け暮れていました。そういう状態ですから、社会に身を置くようになって、見るもの、聞くもののすべてが興味深く、面白いと感じました。それから、猛烈にビジネスのこと、社会のことを勉強するようになりました。猛烈に読書を始めたのはその頃からです。

地熱開発業務に係るために会社に入ったので、一年目から、海外業務を含めて即戦力を求められます。読み書きだけでなく、英会話すらも当たり前にできるという前提で、仕事を振られました。できないなどと言っておられません。猛烈に勉強するのみでした。しかし、半年もすれば、周りのペースは掴めるようになり、余裕ができるようになって、今度は独自のペースで、仕事をリードするようになったと思います。

入社して1年が経つころには、仕事での疑問点や課題の解決によって、地熱分野でも新しいアイデアを出せるようになり、地熱学会で世に問うこともできるようになったと思います。その当時に書いた地熱構造モデルは、早々とテキストに紹介していただきました。30歳の頃だと思います。

30歳の頃、モーレツに仕事をし、技術的にも伸びたと思います。30歳を過ぎた頃には、英文で自分のアイデアを世に問うことも行っていました。私の強みは、地質学ですが、流体地化学を学んで、地熱系モデル作成を容易にすることができたことではないかと思います。

35歳の頃には、課長になっていたような気がします。この頃に、私の技術的な進歩、成長は鈍化しました。しかし、国の仕事や海外の仕事方はどんどんと増えていき、家庭を顧みる暇もないといった状況でした。

40歳代の前半は地熱のトップランナーとしての自負がありました。大規模な発電所建設と同時に、中小規模の地熱発電の必要性を感じ、中小規模の地熱発電の推進を国に働きかける活動を行っていました。

そして、50歳代後半でエディットに入社し、新たな地熱分野の確立に努力しました。まだまだ道半ばですが、エディットでは、若い頃と違ったアイデアやイノベーションを巻き起こし、温泉発電の分野の確立に注力してきました。一つのことを長く続けることは、価値があると思います。

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