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プロゴルファー坂田信弘

※社員へ向けた社内朝礼スピーチより抜粋

 

プロゴルファーの坂田信弘氏が亡くなりました。享年76歳でしたが、私と同い年です。

坂田氏は、93年に地元・熊本で坂田ジュニアゴルフ塾(坂田塾)を開校しました。私財を注ぎ、指導陣はボランティアで、地域の練習場やゴルフ場の協力も得て子供たちからはお金をもらわない画期的なゴルフスクールで、一時は札幌、福岡、東海、船橋、神戸と全国計6校まで拡大しました。古閑美穂、上田桃子、有村智恵、笠りつ子、安田祐香らトッププレイヤーも含め、実に100名以上のプロを輩出しました。夢を抱く子供たちを厳しくも愛情あふれる指導でプロゴルファーへと力強く導いた坂田氏ですが、意外なことに、自ら何かに手を伸ばしたことはなかったと、自身の人生を回想しています。彼の指導は、子供たちのゴルフに向かいう姿勢や、日常の立ち振る舞いに力点を置いており、試合の成績については叱らなかったと言います。

坂田氏は、熊本の実家の和菓子屋が倒産し、夜逃げ同然で、関西に移ります。その後、高校卒業後、京都大学に入ります。そのいきさつが面白い。高校時代に模擬試験を受けたら、全国で300番位になり、高校の数学の先生に京大の森毅先生を紹介され京都大学に入ったと言います。しかし京都大学在学中にお父さんがなくなり、結果大学を中退し、プロゴルファーを目指しますが、生活もあり、タダで体力をつける方策として自衛隊に入ります。

28歳でツアープロになりましたが、プロゴルファーとしては目立った成績は残していません。しかし、36歳の時に、ゴルフ週刊誌の原稿依頼があり、以降、執筆活動が主体となります。また、漫画「風の大地」の連載も始まります。その後はゴルフ指導の道を歩みます。1994年に、地元熊本でゴルフ教室「熊本塾」を始め、この塾を通して、前述した多くの女子プロゴルファーを生み出したのです。

これらの仕事はすべて自分の意志で行ったことでなく、周りに勧められてやってきたと言います。しかし、私と同年代でゴルフをやる人間にとって彼を知らない人はいないと思います。彼のエッセイはしばしば文語体が混じることでも特徴があります。また、一度、飛行機内でお見かけたことがありますが、茫洋とした人という印象を受けました。この章の中にも書きましたが、高校時代から大学に入学するときに、京都大学の数学者の森毅先生と親交があったとは驚きです。来週は、森毅先生についてお話ししようと思います。

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